「暮らしのみじかな所に、アートを楽しめる場があったりするとすごく良いなということに気付いて、もっと地元に根ざした活動をしようかなと思っています!」
今回のインタビューは、美術家の鄙里沙織さんです。鄙里さんは、千葉県松戸市戸定歴史館の研究員もされています。サラチ分析の第一回展覧会「戸定邸・日本画タイムスケイプ」の準備段階でお知り合いになり、その後の「セコンドスペース」vol.1.2戸定邸菊花祭×サラチ分析の際には、戸定邸で一緒に展示もさせていただきました。
東京藝術大学大学院の木工研究室を修了されているということで、大学の先輩作家でもありあす。今回は3月24日〜25日に行われていた、『花 ひらく とき』という鄙里さんの展覧会の会場にお邪魔してインタビューをさせてもらいました。 (聞き手;四宮義俊)
——先日の戸定邸菊花祭では、ご一緒させて頂いてありがとうございました。鄙里さんは、元々戸定邸での活動や関係はどういうところから始まったんですか?
「はい。私は松戸の出身なんですが、戸定邸には折に触れて両親に連れて来て貰ったりしていました。時々訪れては心慰められる場所だったんですね。それから、何かこの戸定邸と関わりを持てたら良いなと思う様になりました。10年前にボランティアガイドの代表をしていらっしゃる石上留美子さん※1の紹介で、木工作品の展示をさせて頂くことになって、そこからご縁が始まりました。」
※1石上留美子さん 講談師・NPO法人松戸市民劇団理事長・松戸市文化振興財団評議員・松戸シティガイド代表
——“心慰められる場所”というのは、どういった感覚なんですか?
鄙里「落ち込んだりした時に、客間のポカポカ暖かい縁側だったり、奇麗に手入れされたお庭を見たりすると気持ちが落ち着くといった感じです。」
——お父さんは、木工の作家さんをされてるんですよね?
鄙里「父は、家具修理の職人です。」
——鄙里さんのお父さんが戸定邸の修理をされているとお聞きしましたが、関わる様になったのはいつ頃からなんですか?」
鄙里「それは、私が戸定邸に関わるようになってからです。」
——鄙里さんが大学で木工を専攻したのは、やはりお父さんの影響なんですか?
鄙里「はい。父の作業所で遊んで育ったので、そういう場所が落ち着くみたいですね。高校までは普通科だったんですが、大学で美術を志したいっていうことで、色々作業が出来る空間がある大学に進んで、気付いたら木を扱っていたという感じです。」
——大学の頃は、どの様な作品を作っていたんですか?
鄙里「木を扱うようになったのは大学4年の時で、学部生の頃は粘土で人体の勉強をしたりとか、素材にはあまり拘らず、立体作品を使って“日常の中の物語”というテーマで作っていました。」
『花 ひらく とき』 サイズ 5.3m×4m 素材:戸定が丘の楠
——アトリエも松戸にあるんですよね?
鄙里「はい。」
——どういった感じで作業されているんですか?
鄙里「父の作業場の一角を少し分けてもらって、3年くらい父の手伝いもしながら制作しています。機材も小さいですけど、そういった感じです。」
——二人三脚という感じですね
鄙里「そうですね。」
——お母様も木工職人さんなんですか?
鄙里「母は書家なんです。今、戸定邸の中に与謝野晶子さんの歌を書いた石碑がいくつかあって、その書家の中の一人に入れてもらってます。」
——ご家族で戸定邸に関わられているんですね。
今回の『花 ひらく とき』※2という展覧会の事もお聞きしたいんですが、どういった経緯で
されることになったんですか?
鄙里「戸定アートプロジェクトに関わって3年くらい経つんですが、もっと町の人と連携を持って取り組みたいと思いまして、戸定邸を飛び出して地元の人達の思い出の場所を紹介してもらって、そこで展覧会をするということを考えるようになり、今回に至りました。」
※2『花 ひらく とき』
鄙里沙織さんによる木工作品と江川良子さんと堀米綾さんによる演奏会。戸定歴史館所蔵の写真展示からなる展覧会。
日時:2012/3/24(土)・25(日)9:30〜17:00(入場は4:30まで)
場所:松戸三丁目西自治会館
演奏:サキソフォン江川良子・アイリッシュハープ堀米綾3/24 12:00より(その後15:00より戸定邸客間にて第二部)
演奏中の江川良子さんと堀米綾さん
『大根洗』徳川昭武撮影1907年7月6日 戸定歴史館所蔵
——鄙里さんは、地域との繋がりや土地に根ざした活動というのに力を入れてる印象があるんですが、そういった気持ちになったのはいつ頃からなんでしょうか?
鄙里「娘がもう6歳になるんですが、彼女を世話しながら作品を制作して発表するとなると、あまり遠くではできないということに気付いて、若くて独り身で自由にどこでも行ける時期はいいんですけど、やっぱり年を取ってきたりとか、子供の世話をしながらになってきたりすると、暮らしの身近な所に活動の場だったりとか、アートを楽しめる場があったりするとすごく良いなということに気付いて、もっと地元に根ざした活動をしようかなと思い始めました。」
——わりと若い人でも“土地に根ざして”という人が増えている気がするんですが、それでも若い人は若い人の中で成立する空間を探しちゃう傾向があると思うんですが、鄙里さんの活動を見ていると、わりと広範囲な世代に対して訴えかけてるのかな、という気がするんですがその辺はいかがですか?
鄙里「そうですね、世代とかを限定せずに色んな立場の色んな人に交流を持ちながら制作していきたいなと思っていて、目が見えなくても耳が聞こえなくても、一緒に共有できる世界を作っていきたいなと思っています。」
——サラチ分析のメンバーの小林智もそうですが、同じ職員ということで、文化学院※3ではどういったことを授業でされたりするんですか?
※3文化学院 2012年現在、鄙里さんは学校法人文化学院の専門学校でデザイン科の講師をされています。サラチ分析の小林智も文化学院高等部の美術コースで講師をしている。
鄙里「私はデザイン科の講師なんですが、パソコンに向かって何かデザインをするような、グラフィックの勉強をするだけではなく、木を削ったり紙漉をしたりとか、手や五感を動かして物を作るという事をやっています。」
——触感のある部分の担当なんですね。
——最後になるんですが、昨年、戸定邸で僕らサラチ分析と展覧会をやらせて頂きまして、何かその時の感想とか、サラチ分析の要望はありますか?
鄙里「最初はどんな人たちなのか分からなくて、皆の大事にしている戸定邸がメチャメチャになったら嫌だなあと思っていたんですが、四人とやってみて、その場所をとても尊重して制作して下さる人たちなんだなと思いました。これからも関わりを持ってやっていけたらなと思っています。」
——ありがとうございます。今のお話を聞いてて思ったんですが、アートの話に限らず、元々その土地に住んでいて大事に思ってる人がいて、でも後から入ってくる人が必ずいるわけじゃないですか。そういった関係性は話し合いをして時間をかけて成熟させていくしかないとは思うんですが、何かをしたいとき、当事者じゃないっていうのは弱みじゃないですか。その土地に住んでないという。でも好きなんだっていう。僕らの場合で言えば、その場所や建物が好きなんだというだけで入ってきたのかもしれないんですけど。コミュニティーでの距離感を計るのって難しいですよね。震災があって、今“繋がろう”とか、“絆”って言われてますが、別に悪い事ではないだろうし。どのくらいのスケールに自分は当事者意識を持てるんだろうか、と考えてしまいます。僕は震災で具体的な被害にはあってないですが、外国の人から見れば僕も当事者に見えるでしょうし。
鄙里「その土地に敬意を持って接すると、それなりに開けてくるというか、縁がどんどん深くなってくるということがあるんです。そういうのって時代も場所も人種も超えたものかなって思うんです。例えば、徳川昭武さんは100年以上前の人ですけど、戸定邸を通して色んな人が出会ったり、創作活動が生まれたりしていますし。」
——敬意を持つ対象、例えば戸定邸というアイコンが中心にあれば、皆集まりやすいでしょうしね。
鄙里「そうですね。それは永遠のテーマで、色んな人がいるよねっていう(笑)あとは時間をかけるとか、結論を出さずに。」
四宮「今日は、ありがとうございました。」
鄙里「はい。ありがとうございました。」
(取材日2012年3月25日)
鄙里 沙織(ひなさと さおり)
2000年 東京造形大学造形学部美術?類彫刻科卒業
2002年 東京芸術大学大学院美術研究科工芸専攻木工芸修了
2009〜2012年文化学院総合デザインコース非常勤講師
2009年〜 松戸市戸定歴史館研究員
土から生まれる素材を創作表現の媒体とし、手しごとの魅力を後世に伝えるため、土地と結びついたアートの役割を模索している。